取材日:2013年8月21日
もうずいぶん前の日のこと。熊本に大分ホーバーが帰って来ているという情報を、当ブログの読者さんからコメントを頂いて知り、はるばる熊本県の八代港を訪れました。
当時、熊本に大分ホーバーがいたという記事をブログに書こうか迷いましたが、八代港の港湾関係者の方や、ホーバー所有者の方へ迷惑になると思い、UPはしませんでした。
2015年に現地で解体されてから間もなく5年を経過しようとしていること、
2020年3月になって、大分空港アクセスとしてのホーバーの復活の動きがあるというニュースもあり、
今回、大分ホーバーの在りし日の姿をUPすることにしました。
2013年夏、熊本にいた大分ホーバー
八代港に来てみると、目の前に飛び込んできたのは巨大な推進ファンと、ホーバーの船体。
僕にとって、初めてのホバークラフトとの対面です。
八代に大分ホーバーがいる。嘘のような本当の話...。
茶色く変色した推進ファン、白く粉を吹いたような赤い屋根。意気消沈し、スカートを広げてその場に座り込んでしまったかのようなホーバー。
現役を退いた今でも、巨大な推進ファンは誇らしげに立ち上がって前を向いています。今にも動き出しそうなパワーを感じます。
金網越しに船内を見ると、客室内の広告がまだ貼ったままで、窓のカーテンもそのまま。2009年の廃止から時間が止まった船内。
3艇のうち1艇は、客室が焼損していました。
ネットの噂で聞いていましたが、ショッキングな光景でした。
屋根が焼け落ちて魂を吸い取られてしまった船体。対比する真夏の青空が、何とも...。
大分ホーバーの遥か先にある大きな山は、雲仙普賢岳(平成新山)。
ここは大分ではなくて熊本。向こう側は長崎。大分ホーバーが本来いるべきところではありません。
目の前に大海原が広がるのに、今すぐ出発できない無念さは、ホーバー自身が一番感じていることだと思いました。
そして、解体へ。
2015年4月頃、大分ホーバーは現地にて解体されました。
『ホーバー継承の会』会長の、ほびー6号さん(ご無沙汰しております。)をはじめ、継承の会のメンバー様の立会いの下、解体前のホーバーの船体から客席や資料、操縦席の機器の一部等のパーツを譲受されたそうです。
船体より回収されたパーツは、大分ホーバーの企画展示会にて展示されていくそうです。
大分ホーバーの航路と船体はなくなってしまいましたが、現役時代に様々な方が数多く残された写真や動画、そしてホーバーの資料等が、大分ホーバーの記憶と魅力を永遠のものにしてくれるかのようです。
2013年当時、八代港を訪れた時の様子を動画にUPしております。ご覧ください。
大分ホーバー、2023年にも復活か?
先日2020年3月4日、大分県は大分空港へのアクセスの改善について、ホーバークラフトを復活させる方針を示したそうです。
大分県民の方にとっては、ビッグニュースだったのでは?(僕の住んでいる福岡県には、一切報道はありませんでした...)
大分市内より大分空港までのアクセスは、現状で高速バスで一時間かかるところを、海上ショートカットによりアクセス改善(時短)を図ろうというもののようです。
海上高速交通と言えば、ホーバー以外にジェットフォイルが考えられますが、大分空港に新たに高速船用の港の新設が必要とのことです。
ホーバーならば、大分空港と大分市の旧ホーバー基地の跡地がまだ活用できる状態とのことで、ホーバー復活に白羽の矢が立ったということのようです。
もし本当に復活するのならば、天候に左右されにくい船体の導入と、高速バスと同等の運賃設定が必須でしょうね。
まだ確定ではないにしろ、大分ホーバー復活して欲しい…。
そして、いつか復活したら、
北九州→大分空港までバイクで行く→新大分ホーバーに乗り換え→大分市内を観光…みたいなツーリング(観光)をしてみたいです。
参考に、過去に僕が写真取材した旧大分ホーバー乗り場、基地跡地の様子についての記事をどうぞ。
当時の愛車、TMAX500
2013年当時の愛車のTMAX。
鮮やかなブルーにロングスクリーン、大きなリアボックスが目立つ自慢のツーリングマシンでした。
当日、ツーリングしたコースの記事はこちらです。熊本ツーリングの参考にどうぞ。