ちょっとそこまで

~何気なく撮った写真と旅の記憶~

旧大分ホーバーフェリーを探して

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2011年3月10日木曜日
大分ホーバーフェリーは、2009年10月31日をもって運航終了した。


・・・ということを知ったのは、2010年9月のこと。当時、Youtubeで大分ホーバークラフトの動画を見つけて、乗りに行ってみようと思ってネットで調べてみると、なんと、既に運航終了していたと知って愕然とした・・・。実は2007年に大分に転勤で住んでいたことがあったが、あの時なぜ乗りに行かなかったのか・・・。いくら悔やんでもあとの祭りだ。

ホーバークラフトが存在した証を探しに行くことにした。まるで鉄道廃線跡の調査のようだ。

大分空港へやってきた。



上記2枚 大分空港ホーバーのりば跡
ホーバーだけでなく、のりばの建物や連絡橋までもがなくなっている。
寂しさとショックを感じずにはいられなかった。


有名なS字カーブ。杭が打ち込まれて進入できなくなっている。
耳を澄ませば、今にもドリフトしながらホーバーがやってきそうだ

ここは空港とホーバー航走路を見下ろす公園。「お立ち台」とも言える絶好の見学場所だ
この場所から撮影された動画がyoutubeにたくさん投稿されている。

ここを右に左に横滑りしながら走り行くホーバーの姿が目に映る気がする。


もう少し海岸方面に歩くと、航走路を間近に見ることが出来る場所がある。
この看板より先は立入禁止だ。実際にこの場所でホーバーを見たら、すごい迫力だったろう。


ここはホーバー上陸地点。
既にホーバー廃止から一年四ヶ月経っているため、上陸地点には砂やゴミが堆積している。


別府湾を横切り、ホーバーはかつてここから上陸していた。


上陸地点から航走路に目を向けると、立入禁止看板が二つ。
手前の看板をよく見てみると・・・


なんと、「大分ホーバーフェリー」の文字が!!
ホーバーはもういなくなってしまったが、この看板だけはずっと残っていて欲しい。


ホーバーが現役であったころに残された数々の写真や動画を何度も何度も拝見させて頂いたせいなのか、今回初めて大分空港を訪れたにも関わらず、廃止されたはずのホーバーが今にもやって来そうに思えた。
ホーバー最後の日の動画を拝見し、クルーの方の花束贈呈シーンを見て、僕も思わずもらい泣きしてしまった。
数々の写真や動画を残してくれたホーバーファンの方や地元大分の有志の方々に感謝の意を表したいと思う。本当にありがとうございました。


ホーバー廃止の決断は、勇気のいるものだったと思う。2008年に起きた燃料費高騰。週末1000円高速乗り放題施策。この時点(2009年)での廃止という経営判断は勇断だったと思う。
その後、2010年は高速無料化社会実験に大分県内の高速道路網も対象となり、空港道路も無料化された。その上、2011年に入って再び燃料費が高騰している。
もしまだホーバーが営業運転を続けていたのならば、さらに巨額の赤字を抱えていたと思う。2009年中に廃止を決断したことは正解だったと思う。
そして何より、大きな事故を一度も起こすこともなかった。これに尽きるだろう。

今回初めて大分空港に行ったが、陸路だとかなり遠い。行けども行けども、なかなかたどり着かないイメージだ。ホーバーの存在意義は大きかったと思う。


おまけに飛行機の写真を少しだけ


3階の送迎デッキにて、スカイネットアジア航空の出発シーン(金網が少し邪魔)


場所を変えて、JAL機が出発
大分空港は海岸沿いにあり、まるで南国の空港のようだ。青い空と水平線が美しい
3階には展望レストランが2店、寿司店とラーメン店が各1店の合計4店ある。小さな空港だが、何かと充実しており、どこかしら九州であることを忘れさせてくれるいい空港だ。


【2013年5月8日追記】
ホーバー廃止後、ホーバークラフトの機体は全機日本国外へ売却されたとの話だったが、何と2013年初頭に熊本県内の某所に3機が帰国しているとの情報をネット上で入手。どこかの国で第二の人生を送っていると思っていたのだが、まさか日本に戻って来ているとは。しかも痛々しい姿に…。
すぐに熊本に向かってホーバー現物を調査したかったが、所有者や関係者にご迷惑をおかけする可能性もあるため、一般公開されるまで待つことにした。
熊本から自走して大分に凱旋帰郷は出来ないと思うが、一日も早く故郷大分の方々やホーバーファンの方々が待つ大分に戻って、大切にされながら余生を送って欲しいと思う。